ハーレムの歴史
アメリカにおけるハーレムの歴史は1658年にオランダ系のニューヨーク知事、ピータースタイベサントがマンハッタン北部にNieuw Haarlemと名づけた町のコミュニティを設立したことから始まります。その町はとても田舎で当時はわずかな数の農民達が住んでるだけでした。たったの数マイル南に位置する都会ニューヨークシティの裕福な住民達は、休暇を楽しむ為にハーレムに広大な別荘を建設し夏場の避暑地としていたのでした。 1700年代を通しては人口依然少なく散在し、1830年代にはコミュニティの農地が酷使されすぎた為に逆に人口が減少してしまいます。しかし1800年代の終半にはハーレムまで延びた地下鉄の出現によって マンハッタン北部にも積極的にビルが立ち並ぶようになりました。1900年代初頭にはアフリカ系アメリカ人がハーレムに移住し始めました。1914年にがその数約5万人ほどでしたが、1930年には人口は23万人に急増しました。1920年代を証言するハーレムルネッサンスと炸裂するアフリカ系アメリカ人の文化は音楽ダンス文学を通じてさまざまに表現されました。 まさにそこは有名作家( Zora Neale Hurston、Langston Hughes)や, 音楽家(Fats Waller, Louis Armstrong, Billie Holiday), 俳優 (Paul Robeson), ダンサー (Josephine Baker)や画家達 (Jacob Lawrence and Romare Bearden)のホームだったのです。
現在、ハーレムは再び、経済開発の形成という別のルネッサンスの基盤を経験しています。 ハーレムは住民の高い失業率、地域環境の低下と年々減少する人口を含む多くの困難を乗り越えてきましたが、商業は今、再び生き返りハーレムの通りは強い活気を戻しています。 住宅やオフィスは改装され、新しい建築が再び町を繁栄させています。加えてクリントン前大統領が彼のオフィスをこの地区に構えました。改装されたブラウンストーンが立ち並ぶ美しい町並みをみる度に、ハーレムの歴史への反響と未来の繁栄の約束を思うことでしょう。
ハーレムにおけるヒップホップ
ヒップホップは60年代後半にニューヨークシティで作られたマルチ文化現象です。ヒップホップの4つの柱は DJ、ラップ、ブレークダンスとグラフィティ(落書き)です。 2つのターンテーブルの上で同じワックスアルバムの2つのコピーを使う初めてのDJとして功績をあげたKool Hercを初め,
Afrika Bambaataaや Grandmaster Flash等のヒップホップのパイオニア達はDJとしてキャリアをスタートさせました。 MC( ラッパー)は聴衆を興奮させ、DJを盛り上げる為にDJと共にパフォーマンスするようになります。やがてMCはメインアトラクションとなり、大きな成功を収める源になりました。 速やかな進歩をとげ今日に至るヒップホップは嵐のごとく世界を征服しました。ヒップホップミュージックが作り出すその言葉巧みな歌詞や心臓を激しく揺さぶるビートは地球上のすべての大陸において文化の対象となりました。ヒップホップはニューヨークシティで生まれましたが、増え続けるラッパー達の多くは全米の至る所からやってきます。それでもハーレムは長年に渡り高い評価をうけ続けたCash Crew (Turn It Out)や 初めてレコード化されたヒップホップグループ、Big L (Lifestyles of the Poor and Dangerous - 1995); Mase (Harlem World - 1997); Cam'ron (Confessions of Fire - 1998)そしてミュージッククルーのリーダーThe Diplomats; Loon (Loon - 2003); や Jim Jones (Harlem: The Diary of a Summer - 2005)のようなヒップホップアーティストを生み出してきました。
ハーレムが次にどんなヒップホップアーティストを生み出すか…それは時だけが語ることでしょう。



